中津のオススメ中津城

中津城

中津のシンボル 中津城

豊臣秀吉より豊前6郡を拝領した黒田官兵衛(孝高)に建てられた中津城は、中津とともに歴史を刻んできました。天守閣は奥平家歴史資料館として奥平家の貴重な家宝の数々が展示されており、また様々なイベントも行われています。中津に訪れたらぜひ見ておきたい場所の一つです。

 

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中津城について
九州で最古の近世城郭
中津城は福岡県と県境にある中津川の河口沿いに位置しており、北は周防灘、西は中津川に面し、東は二重、南は三重の堀をつくり、外堀には「おかこい山」と呼ばれる土塁をめぐらせていました。
水門から海水が入って堀の水かさは潮の干満で上下する水城で、高松城、今治城とともに日本三大水城の1つに数えられています。
また、城郭の形が扇の形をしていたことから、「扇城」とも呼ばれています。
現在の中津城天守閣は昭和39年(1964年)に建てられたものですが、城の石垣は築城当時のものが残っています。
 中津城
 黒田如水縄張図
黒田如水縄張図
中津城の歴史
中津城は黒田、細川、小笠原、奥平氏とつづく居城です。
 
1588年(天正16年)に黒田官兵衛(孝高)が中津城の造営を始めました。「黒田如水縄張図」には、中津城の本丸、二の丸、三の丸とともに、京町や博多町なども記され、現在の町名はこの時代に由来するものもあります。
 
1600年(慶長5年)、黒田氏の代わりに入城した細川忠興は黒田官兵衛が計画した町割りを引き継ぎ、中津城下を整え、ほぼ現在の中津城の形が整いました。
 
1632年(寛永9年)、細川家に代わり、譜代大名の小笠原長次が入封し、城下町の整備を行いました。中津に祇園祭を広めたのも小笠原氏です。
 
1717年(享保2年)、第八代将軍徳川吉宗から西国の抑えを期待された譜代大名の奥平昌成が中津城に入城しました。以後1871年(明治4年)の廃城まで、中津藩主の居城として存続しました。
 
中津城の石垣に隠された秘密
本丸北側には、石垣にy字状に目字が通る場所があります。向かって右側の石垣が黒田時代の石垣で、その上に積まれている左側の石垣が細川時代のものと言われています。
細川時代の石垣は丸みを帯びた自然石で、黒田時代の石垣は四角く加工された石が多く使われています。実はこの黒田時代の石垣に使われている石は、川上(福岡県上毛町)にある7世紀の遺跡「唐原山城」の石なのです。この石は神籠石(こうごいし)と呼ばれ、直方体で一辺の断面がL字にカットされているのが特徴です。川沿いから北側にかけてこの石が使われています。
 
 
 中津城の石垣
奥平家歴史資料館
奥平家歴史資料館
中津城の天守閣内には、奥平家歴史資料館として、奥平家の貴重な資料や家宝を展示しています。
徳川家康公から贈られたとされる、「白鳥鞘の鑓(やり)」や長篠の戦で使用されたとされる「法螺貝」などが有名です。
その他にも奥平家歴代当主の甲冑や、長篠の戦を描いた「長篠合戦図六幅掛軸」など様々な家宝が展示されています。
 
営業時間や料金など詳しくは以下をご覧ください。
 
中津城(奥平家歴史資料館)
 
中津城公式ホームページ
 
◆ 観光ガイドもございます!
 
詳細はこちら >>> ボランティアガイド
 法螺貝
中津城のイベントとキャラクター
 人間ひな飾り
中津城人間ひな飾り
中津城天守閣前に特設のひな壇を設置し、選ばれたカップルや中津市民・中津城が好きな方などが人間ひなとして登場します。
たにし祭り
日本の歴史上最も有名な戦いの一つである「長篠の戦い」。たにし祭(奥平神社例大祭)は、その前哨戦である長篠城籠城戦において、奥平信昌(貞昌)公の率いる籠城部隊が、城内の食料が尽きても、堀の「たにし」を食べて織田・徳川の援軍が到着するまで、城を守り通した事に由来しています。
祭りでは中津駅から中津城までの甲冑武者行列、たにし奉納、御神酒振舞い、たにしの佃煮振舞い、開運餅まき、火縄銃実演、中津市民の有志の方々による伝統芸能披露、甲冑体験着用などが行われます。
 たにし祭り
 おっくん
大人気!中津城公式キャラクター「おっくん」
中津城では、公式キャラクターの「おっくん」が大人気です。おっくんは、徳川家康公の孫である、忠昌公をモデルとしています。