中津のオススメ城下町中津

城下町中津

歴史を感じられる城下町中津

黒田官兵衛(孝高)が1588年に中津城を築城を始めてから中津城下町は発展してきました。現在の旧中津城城下町にも町割りや町名など黒田時代に由来するものが残っています。また城下町には多くの歴史的な史跡もあります。城下町中津を散策して歴史の息吹を感じてみませんか?

黒田時代の面影が残る中津城下町
 黒田如水縄張図

黒田如水縄張図

黒田時代の町名が残る城下町
旧中津城下町は、江戸時代に使われていた町名が現在でも残っています。
特に東側に位置している「姫路町」、「京町」、「博多町(現在の古博多町)」は、黒田時代から町名がすでに存在していたようです。
 
【姫路町】
当時の城下町屋の中心でした。黒田氏が中津に入封した際に姫路の商品たちが来てつくった町ということに由来しています。
 
【京町】
黒田氏が中津に入封した際、京町中ノの町屋・伊予屋を本陣として中津城をつくったという説があり、京町は古くから存在していたと考えられます。
京都からの移住者がいたことが由来とされており、その町名は黒田時代を描いたとされる「黒田如水縄張図」にも記されています。
 
【古博多町・新博多町】
黒田時代(他の説あり)に博多の商人が移住して店を構えたので「博多町」と呼ばれました。京町とともに「黒田如水縄張図」に記されています。元和6年(1620)細川忠興の「町割令」により、町の南側の堀を埋めて「新博多町」が作られ、「博多町」は「古博多町」と呼ばれるようになりました。
古地図で城下町を散策しよう!
観光協会ナビでは現在の地図上に古地図が表示されます。(城下町周辺のみ)
古地図をみながら当時の面影を探してみませんか?
 
観光協会ナビ
 
古地図の表示の仕方
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 寺町通り観光協会ナビ古地図
城下町スポットのご紹介
 中津城(奥平家歴史資料館)
中津城
天正16年(1588)に黒田官兵衛が築城を始めたこの中津城は日本三大水城のひとつにも数えらる中津のシンボルです。現在の天守閣は昭和39年に建築されたもので、奥平家の甲冑や古文書などの貴重な家宝や史料などが展示されています。
 
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合元寺
天正15年(1587)に黒田官兵衛に従い中津に来た空誉上人の開山です。通称赤壁寺とよばれるこの合元寺ですが、黒田官兵衛が前領主の宇都宮(城井)鎮房を謀略をもちいて中津城内で暗殺した際、その従臣らがこの寺を拠点として奮戦し最後を遂げ、以来、門前の白壁は幾度塗り替えても血痕が絶えないので、ついに赤色に塗り替えられるようになった、というのがこの赤壁の由来となっています。
寺の庫裏の柱には当時の刀傷が残っています。
 
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 合元寺
 円応寺
円応寺
円応寺は、黒田官兵衛による開基で、真誉上人の開山です。 黒田氏が福岡に移った後も細川氏、小笠原氏など歴代の藩主に大切にされました。通称河童寺と言われる円応寺は、仏門に入り寺を火難から守った河童にまつわる話が残っており、境内には、河童の墓、河童の池と伝わるものも残っています。河童の墓は、黒田二十四騎の一人、野村太郎兵衛の墓ともいわれています。
 
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西蓮寺
開基・光心師は俗名を「黒田市右衛門」といい、黒田官兵衛の末の弟です。父黒田職隆の逝去に伴い、出家したといわれ、官兵衛を慕い中津に移り、天正16年(1588)にこの寺を開山しました。現在の本堂は天保14年(1844)に再建されたものです。本堂は再建当時の藩主であった第8代奥平昌服が茶会を催したり、能が舞われた場所でもあります。
 
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 西蓮寺
 福澤旧居
福澤諭吉旧居・記念館
福澤諭吉が長崎に進学するまで過ごした家で、庭に立つ土蔵は諭吉自身が改造し、その2階で勉学に励みました。
隣接する記念館では「学問のすすめ」の初版など諭吉の書、手紙、写真などが展示されています。
 
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中津市歴史民俗資料館
中津市歴史民俗資料館は、慶応義塾で福澤諭吉に次いで尊敬を集めた、小幡篤次郎の生誕地にあります。篤次郎の遺言により、明治42年 (1909年)に小幡記念図書館が建設開館されました。その後図書館は近接地に新築移転したことから、平成4年に『中津市歴史民俗資料館』として再出発しました。
館内は第1展示室から第3展示室までわかれて、中津市の過去から現在に至るまでの人々の生活の足跡を時代別に展示しています。
また、資料館の建物は、昭和57年(1982)に日本建築学会より昭和初期の建築物として建築学的に見て貴重であると認定され、平成9年(1997)には、国の登録文化財に登録されました。
 
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 中津市歴史民俗資料館
 大江医家史料館
大江医家史料館
大江医家史料館は、中津藩主の御典医であった大江家の旧宅を利用して開館しています。大江家は初代・大江玄仙以来、代々御典医を勤めた家柄で、「医は仁ならずの術 務めて仁をなさんと欲す」という言葉が医訓として伝えられました。史料館には、有名な「解体新書」や「重訂解体新書」など様々な貴重な資料が展示されています。
 
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村上医家史料館
村上医家は、初代宗伯が寛永17年(1640)諸町に医院を開業以来、現在に至るまで医家として継続し、数千点におよぶ医学関係やその他の資料がのこされています。
中津市は、1640年から現在まで連綿と続く村上医家の所蔵品とその建物をもとに中津市歴史民俗資料館の分館として『村上医家史料館』を開設しました。
村上医家史料館では、村上医家の史料及び人体解剖に至るまでの医学の流れを中心に展示を行っています。
 
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 村上医家史料館
 自性寺
自性寺大雅堂
自性寺は奥平藩歴代の菩提寺です。宝暦14年(1764)に12世提洲和尚が住職として赴任の途中、京より池大雅夫妻を伴い、自性寺にきました。池大雅は、九州の美しい景色にふれて、自由に筆をふるいました。これらの書画は安永7年(1778)、書院の襖に貼られます。後、十代藩主昌高公が「大雅堂」と染筆、扁額を掲げてから、この書院を「大雅堂」と呼ぶようになりました。
その書画47点が保存、展示されています。
 
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円龍寺
円龍寺はえんま様のお寺として知られています。このえんま様は、檀家の武士が旅先の箱根山で災難にあい、えんま大王への信仰によって救われたことを感謝して祀られたもので、山国川河畔に造立したものがのちに円龍寺に移され信仰を集めています。
 
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 円龍寺
城下町マップ